隔日新聞

〔Fiction〕

こんな新聞は無いかと探していたのだ。

これまでの

高齢者に小さな字で印刷された40ページもの新聞が毎日読めるはずは無い。

見出しだけ見て捨てるには勿体無いし どうにかならぬかと思っていた矢先の「隔日新聞」。

テレビの番組もデジタル放送では大画面で気楽に検索できる・・・つまり新聞の番組案内は見ることが全く無い。

又ニュースはテレビかパソコンで見るだけでも十分過ぎる。

株式欄は数年前 株を止めてほとんど見ない、これも不要。株をよくやっても60才代後半までだ。

それに新聞広告は見る気がしない、テレビの広告さえ疎ましい。なぜなら地域のフリーペーパー、生活情報紙、行政からの情報誌、企業の宣伝媒体等々めったやたらに洪水のように情報が送り込まれてくる。うんざりだ。

新聞は永年のお付き合いだから、あってもいいが 隔日で十分すぎる。

ありがたいことは 新聞代金は一か月1500円となり、年間約2万円の節約となった。

大きいのは 新聞に関わる資源の無駄遣い、ゴミ捨ての手間も50%カット出来たことにおおいに満足している。

・・・という夢を昨夜見た。

追伸

 既存の新聞社では隔日新聞の発行はまず出来ないだろう。自分の首を絞めることになるからだ。

大手新聞各社に隔日配刊をお願いしてみたが全社に断られた。

 百年一日の如く同じスタイルに拘泥しきってきた、新聞衰退の加速がここに見えてきた。

 隔日新聞発行のベンチャービジネスが生まれて来ることを切望する。

◎岡山のおいて『隔日新聞』第一歩 始まる ・・・ 本日契約

2013年7月 ついに隔日配達OKと言う新聞社が現れた、試行だろうが定着を願う。

の画像

10:00 am

裏千家道教室(当家)有志の方に茶杓削りの初歩をご指導。

寸法、姿形、を教わり それぞれが 好みの形を削っていく 

日本文化の一端を学ぶ 楽しい一時。

出来上がった茶杓はお稽古に使用いたします。

  生徒さんは小刀だけを持参です。

茶杓の材料の撓め(たわめ)までは私が事前にこしらえ準備します。

写真にある撓めた竹、夜 気分のいい時に20本くらい一気に撓めます、何時も100本ちかく手元にあります。

削りの前に撓めた竹を選ぶのも楽しいことです。

撓めには私はブンゼン灯を使っています。蝋燭だと炎の揺れと煤が気になります。

10:00 amの画像

地域と行政:岡山後楽園界隈

昔はこの弓之町坂交差点に電停がありバス停もあり後楽園に行くにはこの坂を上がり旭川に架かる名橋鶴見橋をわたって後楽園に入る。

今は後楽園の東側にある 後楽園北側 旭川分流河川敷に岡山県が大駐車場を作ってしまった。

そうなると車社会、 路面電車はお手上げ、路線廃止となった。

今となって しまった と言っているが、もう遅い。

バスのツアー客もマイカーも車で(界隈を)通過するだけ、全くこの界隈を歩くことはなくなった。

歩けなくなった。

後楽園の入園者数さえ増えればいいと考える,住民軽視の県行政が江戸時代から繁栄した出石町界隈を疲弊させてしまったのだ。・・・と住民がそう考えても仕方ないやり方。

 地域の活性、活力を奪い去り、観光客が楽しめるはずだった戦災で焼け残ったレトロな雰囲気のある、岡山に もはや他には無いと言われる歴史的な地域の界隈性を破壊してしまっているのだ。

 行政が地域の発展と活性に手を貸すと言うなら分かるが、この出石町は県行政の手で再起不能まで叩きのめされている。

 車社会だというのは理解できる。

大駐車場を作った後 放置された地域の手当てくらいしなければなるまい。

 住民は手当ての無かったことに冷ややかさを感じている。

 この写真の右下 坂の右側は、大きな空き地になっているが、これも岡山県が購入 長年放置し、この地域の疲弊虚脱感をいっそう深めている現場だ。

この坂の上右側道路沿い角地、ここにも土地を点々と虫食いにし放置したり、駐車場(岡山県関連協会の)に使ったりして、まちの活性化の足をひっぱている。足の引っ張りだけは止めていただきたい。

 我々が県と交渉を重ねているのに、岡山市も見てみぬ振りをしている・・・どう言う訳だろう。

岡山市は「土地を買わされたのではかなわない。」と言う声を聞いている

 9年8月 岡山県に岡山唯一の景観地(後楽園)界隈の土地を購入し虫食いにして、まちを長期にわたり疲弊させ住民を嘆かせていることに対し意見を申し立てた、岡山県の回答によると「緊急性が無いから白紙にした」のだと言ってきた。

 では岡山国立病院跡の大掛かりな10何億円も投入するリニューアル<きらめきプラザ>県の外郭団体や関係業者が入居しているが、では これは緊急性があってやった事業なのか、今は閑古鳥が鳴いているではないか。! 歴史のにおうまちの美観を壊し、住民を嘆かせ、商業を成り立たなくさせて、これで行政と言えるのか!、●代官に自民一色の県議会、・・・誰が悪いかと言ったってこのてを選んだ県民が悪い・・・としか言いようが無い・・・この辛さ。・・・自虐。

 そして焼け残った中出石,下出石は 建物の老躯と住民の高齢化が追い討ちをかけている。

岡山市中心部で 最も地代、家賃の低い地域となっている。

  後楽園はミシュランの三ツ星施設に認定された。

 しかし後楽園界隈 特に出石町は沈没したまま、後楽園と界隈の関係は途切れたまま・・・。後楽園はその界隈との有機的な連携(戦前のような)を構築しないと三つ星継続はどうなることか。このままだと落第してもおかしくない。

 欧米から来日する観光客は比較的駅から歩いて後楽園に向かう方が多いようだ。楽しみにしている日本の古い町並みや路地などの風情はこの出石にわずかに残っている・・・が 今は風前の灯。彼らの目にはどの様に写っているのだろうか。

 しかも岡山駅から(徒歩の)大半の観光客は不評の月見橋を渡り後楽園の裏口(西門)から入園しているのが現状。

 !!界隈あっての後楽園、どこの名園、観光地も界隈あってこそ雰囲気をかもし出す。地域と隔離する後楽園、 このままではミシュラン認定の継続は危うい。!!

http://ミシュラン三ツ星.スポット.biz/2007/12/_kourakuen.html[ミシュラン三ツ星.スポット]

(URL・・カナ入りです)

 後楽園年間入園者数は70万人と言われる。(県の出す数字なので相当膨らまし粉が入っている) 23年度は70万人目標と聞いているが60万人割れがちらほらする。(金沢兼六園は200万人が目標)県の界隈を破壊した「つけ」は大きい。

H12年ついに60万人を大きく割り込んだ。

東南アジアの旅行客はほとんどがバスツアー、それに国内ツアー、国内マイカー観光客の後楽園滞在時間は共に わずか約40分だと言う、そして落とされるお金は一人当たり千円に満たない。これで岡山は通過されてしまうのだ。

 問題の、後楽園は岡山県の管理運営、岡山市のど真ん中に県の出島(後楽園は旭川の中州なのだ)がぽっかりとある。

そして旭川をはさみ景観の一体をなしている岡山城(烏城)は岡山市が管理している。

 江戸時代、後楽園は池田藩が築庭し城の付属施設として管理していたものだが、この地が「一級河川の中州」と言う理由?で岡山県の管理となっていると聞いている。後楽園は利益が出ているので岡山市に譲れないのではないかと憶測する向きもあるが・・・。

 こんなことで管理運営(後楽園ー岡山城ー界隈町並み一帯の連携壊される)されたのではかなわない。

園城管理を一体にして来訪者や住民のため良いよい運営は出来ないものだろうか。

長年に亘り、なおも今後も 出石界隈、丸の内一帯 などはいい迷惑を被り続けるのだ。

 折角の岡山の伝統ある観光財産を、管理の都合で分離して、莫大な損失を生み出している。

 H20年秋、石井県知事は岡山観光立県宣言を行った。早速県観光課を訪ね今後の施策を聞こうとしたが、何ら意欲的な言葉すら聞かされず、全く問題意識、前向きな取り組み姿勢は感じさせてくれなかった。私が担当者と突っ込みのやり取りをしていたら、「課長が○○君部長がお呼びだ」と担当を引かせ、私を追い帰した。 惨めな気持で帰途につきました。

観光課の職員が県の宣言は「あれは(観光っ宣言は)ゼスチャーです」と言うのを聞いた。

 界隈住民は後楽園を地域の財産として色々な事で協力し地域を愛ほしんで来ている。後楽園(県側)は界隈を見向きもしない、むしろ足を引っ張ってくれている・・・としか思えない。これで良いのか。園城一帯は地域との一体とイコールのように思うのだが・・・。

 県を訪れても、庁内業務連携は全く希薄、都計は都計、観光は観光、文化振興は文化振興、財産活用は財産活用、己の範疇を超える弾力的な思考、業務遂行は全く見えない、その考えの一端も窺えない、これが行政の実態なのです。

の画像

魅力的な 狛犬さんの尾

狛犬の尾ほど造形変化に富んだものはないと思っています。

尾は火焔とか宝珠がデフォルメされていると言われます。

そして狛犬の尾、一匹として同じものを見たことはありません。

時代のアーチスト石工、優れた造形力を持った方が多数居られたのですね。

常日頃注目しています。

一番上の狛犬の尾は今日 直島の八幡様で撮らせて頂きました。

その他下の2枚参考

魅力的な 狛犬さんの尾の画像

魅力的な 狛犬さんの尾の画像

魅力的な 狛犬さんの尾の画像