「トキワ荘」無頼派 森安なおや伝

 森安なおや の ほぼ生涯を画いた本。著者の伊吹さんが岡山時代の彼のエポックを詳細な取材で幅広く克明に書き下ろしている。

彼の最後の作品「烏城物語」これは岡山城400年記念祭のイベント企画に私が応募し、岡山の多くの同窓生、友人が支援して発刊されたものです。

 東京でのある日、それまで森安と飲んでも飲み明かした事は一度も無かった。だがこの日は違っていた、酒は無茶に強い男ではなかったが、この日は無口で飲み続けた。

明け方、「今日は娘の結婚式だ、山梨(甲府)で挙げる。」飲み屋を追い出されて新宿近くをふらふらになりながら歩いていた時の事。 私は愕然とした。父親が娘の結婚式に呼ばれていないのだ。一晩無口で飲み明かした森安の心情を思うと胸を締め付けられ居た堪れなかった。 私は仕事があるのでそこで別れたが、彼には何も言ってやれなかった。生涯私から拭い去る事のできない強烈なシーンとなりました。

岡山市の「烏城四百年祭」の企画に応募し採用された「烏城物語」。森安の子供の頃の思い出を漫画にしたものだったが、出版を期日に間に合わせ、原画を林原美術館ルネサンス館に展示するまでの過程は生まれて初めて味会う過酷なものでした。

この企画は「烏城四百年祭」の巻頭を飾る企画でした。

忘れもしません開催1日目の晩、私は狭心症(ストレス性)で救急車で榊原病院に搬送され一夜を過ごしています。

「烏城四百年祭」が終わってからも大変でした。色々有りました。

その一つに

原画は森安が間に入って、東京の〇〇に騙し取られています。烏城物語の版権は私が所持しています。原画も おかやま「森安を呼ぶ会」の所有となっています。

それでも森安にどんな目に遭はされても、大喧嘩しても 森安は何故か許せる人間だったのです。

 この本を読まれたら、そこの所がよくお分かり頂けると思う。 この(blogの)文章は涙を拭いながら胸をつまらせて書きました。情け無いとか腹が立つとかそんな感情では有りません、今は暖かい・・・すっぱいような・・・卒業してから途切れ途切れの付き合いだったが素晴らしい光景が蘇えり、彼のために私の1ページが虹のようの彩られていることを知ったのです。

「森安を呼ぶ会」の基金が少し余りました。それに少し足しをして、岡山城の最も美しく見える位地(旭川畔石関緑地)に 市の許可を得て、森安の碑を建ててやりました。

そこに森安の漫画の一こまをプレートにしてはめ込んでやりました。

その傍に桜も植えて、私の家の近くでもあり ウオーキングもありで、日課のように 手入れに通っています。今 桜の幹は私の太ももくらいの大きさに成長して、春には素晴らしくいい花を咲かせています。

森安の冥福を衷心祈ります。

森安 もう少し待っててくれ。また 仲良く喧嘩しようね

                                      森安なおや

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